謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史
昭和26年(1951年)

この年、昭和謄写堂は「賀状交換会」「Z派孔版技術講習会」を開催しました。
賀状交換会は、これを第1回として第12回(昭和37年)まで続けられ、集まった賀状の中から優れた作品を選ぶ賀状コンクールも併せて行われました。
Z派孔版技術講習会は、2年前の現代謄写印刷術大講習会に続く大型講習会で、東京の30名を筆頭に全国から100名の参加がありました。

『月報』はNo.27からNo.35までの9号を発行し、紙面の刷新が進みました。
『月報』No.26は2回発行された。最初のNo.26は一部を残して自転車に積んだまま盗まれたため、重要記事を転載してNo.27(新年号)との合併号となった。
その一つは、賀状コンクールの審査評にページを割いたことで、翌年からは別冊で6〜8ページを割り当てるようになりました。 編集長格の竹内三二郎氏は、このころから地方に足を伸ばす機会が増え、その中から「地方特集版」の企画が生まれ、見開き2ページを地方在住者が編集する形で実現しました。菅野清人氏、有村博行氏ら、業界長老の回顧録が掲載されたのもこのころからで、以前から発表されてきた草間京平氏の記録とともに貴重な歴史資料となっています。

『月報』には、紙面を見やすくということで、まれに詩などが載ることがありました。おおかたは竹内編集長の手すさびですが、No.31に掲載された「新居案内」(滋賀・大野貞男氏)は、当時の税制改革が零細商工業者にしわ寄せされた様子を伝えています。
第T部 戦前編
昭和8年〜12年

第U部 戦後編
昭和23年(1948)
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和32年(1957)
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)

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■この年
1月、NHKが第1回「紅白歌合戦」を放送。
3月、ニューデリーで第1回アジア競技大会開催。
9月、サンフランシスコ講和会議で、49か国が対日講和条約に調印。日米安全保障条約調印。
9月、黒沢明の「羅生門」がベニス映画祭でグランプリ受賞。
この年、パチンコが全国で大流行。