謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史
昭和24年(1949年)

この年は、No.9からNo.18まで10冊を発行しました。
新年号の題字に使われた銀色印刷が読者の目を引いて、多数の問い合わせがありました。次号に載った解説記事によると、これはまず白インクを印刷して、その上に刷毛で銀粉を掃き、羽箒で払い落としたものです。

この年も充実した技術記事が続き、草間京平千田規之植本十一氏らの高度な技法解説がありました。 左のカットは、草間氏の記事に添えられたものです。

この年、最もページを割いたのは、「現代謄写印刷術大講習会」の関連記事です。この講習会は昭和謄写堂が主催して、4月15日から20日まで神田三崎町の日本大学講堂で開かれたもので、
《折からの謄写印刷ブームと講師の顔振れが充実していたこともあって、(…)地方からは熱心な孔版人がリュックを背負ってやってきた。このリュック組の中から後に地方の軽印刷を背負って立つ人が出た》(東京軽印刷工業会千代田支部『軽印刷のルーツ』)
とされ、戦後の業界形成の契機になった催しといわれています。
(右は、主な講師が抱負を述べた講習会準備号。草間氏は「謄写印刷人としての生涯の思い出のために」と題して参加を呼びかけている)
第T部 戦前編
昭和8年〜12年

第U部 戦後編
昭和23年(1948)
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和32年(1957)
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)

トップページ
ショーワホームページ
■この年
4月、1ドル360円の単一為替レートが設定される。
7月、下山事件、三鷹事件起こる。
8月、松川事件起こる。
8月、直接税中心、徴税強化、法人税優遇などを軸とするシャウプ勧告発表される。勧告が実施された翌年、翌々年には、一部で激しい納税拒否闘争があった。
11月、湯川秀樹、中間子論でノーベル物理学賞を受賞。