謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史 この年の謄写印刷界は、タイプ印刷の登場、業者団体「東京謄写印刷業組合」の結成、「謄写版発祥六十周年記念孔版文化展」の開催、と大きな出来事が続きました。 『月報』はNo.47からNo.52まで6冊発行されました。新年号に掲載された《孔版は印刷なり、右決議す》とある右の図版は、当時の謄写印刷人を非常に力づけたものとされています。謄写印刷はその誕生以来《粗悪な素人の印刷》(『明治事物起源』)と蔑視されてきましたが、その地位向上に奮闘する関係者を激励しようと、印刷界の識者が草間京平氏に送った寄せ書きです。 東京謄写印刷業組合は、現在の(社)東京グラフィックサービス工業会の前身にあたる団体です。業界人の全国的な交流が進む中で、東京の拠点として95名が参加して結成され、事務局が昭和謄写堂に置かれました。また竹内三二郎氏が在社のまま事務局長に就任しています。 謄写版発祥六十周年記念孔版文化展は、11月に東京駅に近いブリジストンビルで開催され、8万人を集めたと伝えられています。同ビルを会場としたのは、一時『月報』の編集にかかわったデザイナーの吉本時昌氏が、当時ブリジストンの宣伝を担当し、同ビルに事務所を設けていたことによります。この催しにあわせて、全国から多数の業界人が上京し、全国組織へ向けての気運が高まりました。『月報』でも毎号関連記事を載せて、催しを支援しました。 |
第T部 戦前編 昭和8年〜12年 第U部 戦後編 昭和23年(1948) 昭和24年(1949) 昭和25年(1950) 昭和26年(1951) 昭和27年(1952) 昭和28年(1953) 昭和29年(1954) 昭和30年(1955) 昭和31年(1956) 昭和32年(1957) 昭和33年(1958) 昭和34年(1959) 昭和35年(1960) トップページ ショーワホームページ |
■この年 2月、NHK、テレビの本放送を開始。 3月、ソ連のスターリン首相没。東京証券市場暴落。 4月、山田敬蔵、ボストンマラソンで優勝。 8月、日本テレビ、民放初の本放送を開始。 9月、「東京謄写印刷業組合」発足。 11月、「謄写版発祥六十周年孔版文化展」開催。 この年、朝鮮戦争の終結、昭和9年以来の凶作などにより、不況深刻。 |