謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史
昭和31年(1956年)

2月、社友板祐生氏が急逝し、『月報』でも大きく訃が報じられました。板氏は鳥取在住の孔版画家で、生涯をほとんど県内ですごしながら、個人誌『富士乃屋草紙』などによって各地の文人と親交を結びました。最近、文芸史家などのあいだで関心が高まっており、SHOWA NEWS最近号でも評伝「板祐生の世界」を掲載しました。

『昭和堂月報』はこの年No.70〜77の8冊を発行しました。ひさしぶりに植本浩嗣(十一)氏が健筆をふるい、5回にわたって「楽譜製版の要領」を連載しました。 しかし、これを除くと技術記事は低調で、 謄写印刷界が時代の転換点に差し掛かっていたことを強く感じさせます。

本ページのイラスト、「雪国の人」(上)と「赤い世代」(下)は、この年の『昭和堂月報』の表紙を飾ったもので、いずれも小針美男氏の作です。
第T部 戦前編
昭和8年〜12年

第U部 戦後編
昭和23年(1948)
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和32年(1957)
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)

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■この年
2月、新潮社が初の出版社系週刊誌『週刊新潮』を創刊し、週刊誌ブーム起こる。
3月、日本住宅公団が入居者募集を開始。
7月、『経済白書』が「もはや戦後ではない」と宣言。流行語となる。
10月、ハンガリー動乱。
10月、スエズ動乱。
12月、日本、国連に加盟。