謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史
昭和25年(1950年)

映画『暴力の町』の撮影現場
昭和25年は、No.19からNo.26まで8号を発行しました。
この年最初のニュースは、昭和謄写堂が撮影に協力した映画『暴力の町』の公開です。この映画は、本庄事件に取材した朝日新聞のキャンペーン記事「ペン偽らず」を改題したもので、日本映画演劇労働組合と日本映画人同盟の共同制作になり、昭和堂は機資材を提供したほか、前年12月に辻善司が現地ロケに参加して、印刷の指導などにあたりました。映画は1月に完成、3月に大映系で封切られました。『月報』新年号には、日映演の小谷博貞氏が長文を寄せて、労働運動、文化活動における謄写版の意義を論じています。

戦後の第2次『昭和堂月報』は技術情報の提供とともに、各地の孔版人、業界動向の紹介にも力を入れました。とくに「孔貌時潮」という消息欄は、ほとんどが数行の短信に過ぎませんが、各地の動きをきめこまかく伝えて、業界のネットワーク作りに大きな役割を果たしました。
「謄写版のデパート」の看板を掲げたころ
比較的まとまった大阪新潟の消息が、別ページでご覧いただけます。

『月報』No.26に、財団法人「孔版技術研究所」(後・実務教育研究所)の発足が報じられています。 これは牛込矢来町の草間工房を拠点に設立されたもので、主として通信教育により大量の受講者を世に送り出しましたが、草間氏自身はまもなく研究所から離れました。

この年4月、昭和謄写堂は株式会社に改組しました。同時に店舗を広げ、「謄写版のデパート」を称して、器具の試用やコンサルティング、工房の一部開放など、サービスの拡大を掲げました。
第T部 戦前編
昭和8年〜12年

第U部 戦後編
昭和23年(1948)
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和32年(1957)
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)

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■この年
1月、千円札発行。
1月、年齢の呼び方が満年齢となる。
6月、朝鮮戦争勃発。
7月、レッドパージ開始。その余波で、謄写印刷界にも職場を追われた労組運動家などが多く参入した。そのほか、教師、公務員、軍人、引揚者など、さまざまな経歴の失業者が業界に入り、このころまでにほぼ全国的に業界の形成が見られた。また、各地で孔版人団体の結成が続いた。
8月、警察予備隊設置。
この年、女性の平均寿命、60歳を越える。