謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史
昭和34年(1959年)

昭和34年は、No.91〜95の5号を発行しました。残念ながら内容は低調で、従来のような職人的レベルでの具体的な技術記事が消える一方、この数年紙面をにぎわしてきたタイプ印刷の話題もフォローがありませんでした。謄写印刷の社会的役割、とくに産業界での役割が退潮期にさしかかったことも反映しているようです。

その中で昭和謄写堂は、ひきつづき技術と器材の研究会などを催し、また日本謄写印刷業連盟(日謄連)の映画『謄写印刷の技術』の製作に協力しました。日謄連ではこの年から専務理事が置かれ、先に昭和堂を退社して日謄連事務局の仕事に専念していた竹内三二郎氏が就任しました。
第T部 戦前編
昭和8年〜12年

第U部 戦後編
昭和23年(1948)
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和32年(1957)
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)

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■この年
1月、メートル法実施(尺貫法廃止)。
4月、皇太子明仁親王結婚。テレビ各社、中継に力を入れ、推定で1500万人が視聴。NHKの受信契約数は、直前に200万件を突破。
7月、児島明子がミス・ユニバースに。
10月、「日本軽印刷資材連合会」(現・日印機連)が結成される。初代会長に佐藤斉一氏。
12月、毛筆謄写版の発明者山内不二門氏が93歳で死去。
12月、レコード大賞創設。第1回受賞曲は「黒い花びら」。
この年、「少年サンデー」、「少年マガジン」、「週刊文春」、「週刊平凡」、「朝日ジャーナル」などが創刊され、週刊誌ブーム。