謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史
昭和23年(1948年)

昭和謄写堂は昭和20年(1945)4月の空襲で店舗を焼失しましたが、翌21年に再建され、営業を再開しました。そしてこの23年、九州から竹内三二郎氏が上京して編集部に復帰したのを機に、『昭和堂月報』を再刊しました。

編集陣には、竹内氏、草間京平氏のほか、戦前に入店した浅野一郎氏、商業デザイナーの吉本時昌氏、小谷博貞氏が加わり、製版・印刷には、 その後の孔版界・軽印刷業界で活躍する水谷清照氏、八木寛氏らが当たりました。

さらに、群馬から上京した小針美男氏が入店し、月報が102号で休刊するまで、編集、執筆、製版、印刷のすべてにわたって月報の発行を支えることとなりました。左の図版は、月報No.6の「新人紹介コーナー」に載った小針氏の作品です。

月報は年内に8号まで発行され、若山八十氏氏、小泉与吉氏ら、孔版界のトップスターから多くの寄稿がありました。 草間京平氏も、新しい技法や器材について毎号原稿を寄せました。右は「立体製版」という技法の説明に使われたカットです。

この年の謄写印刷界のビッグニュースは、9月10日から19日まで新宿伊勢丹で開催された「謄写印刷発祥五十五周年記念孔版文化展」です。粗悪な事務用印刷という一般の常識を覆すために業界人が取り組んだ、事実上最初の大きなイベントでした。この年は他にも各地で同様の催しがありました。

各地の孔版人の交流も盛んになり、戦後復興の中で活気づく業界の様子が、幅弓之助「静岡孔版文化展と関西かけある記」からもうかがえます。
第T部 戦前編
昭和8年〜12年

第U部 戦後編
昭和23年(1948)
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和32年(1957)
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)

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■この年
1月、帝銀事件発生。
5月、美空ひばり、横浜国際劇場でデビュー。
11月、東京裁判で25人の被告に有罪判決。東条英機ら7人の絞首刑執行される。
12月、年賀郵便が8年ぶりに復活、年末の孔版界に活況をもたらす。昭和謄写堂に寄せられた孔版による年賀状は400通を越え、翌年1月中、店内に優秀作品を展示した。この「孔版賀状展」が「賀状交換会」(昭和26年から)に発展した。
12月、GHQ、経済安定9原則を発表し、歳出引き締め、徴税強化、インフレ抑制などを打ち出す。