静岡孔版文化展と関西かけある記
幅 弓之助

(『昭和堂月報』No.8、昭和23年11月発行より。漢数字を洋数字に改め、仮名遣いその他を改めたほか、一部を省略、また人名などを補いました)

去る28日から11月3日まで、静岡孔版人連盟の主催で静岡市田中屋百貨店に於て孔版文化展が開催されました。(…)重ね重ねのおすすめもあって会期なかばの31日急に思いたって西下致しました。同行者は、草間(京平)若山(八十氏)吉本(時昌)の3氏で、何の予定もなくただぶらりとでかけましたが、文化展は予期以上の盛会でまず気をよくしました。殊に業界に入って日のまだ浅い原目(喜勇治)氏の精力的な御活動に敬意を感じました。(…)
31日のお午頃からは東海孔版界の先達宮司俊次氏を初め県下孔版人30余名の方々と座談会を開きましたが、深更に及んでも話はつきず、遂に泊りこみの方まであるという熱心さには、ただただ頭の下る思いでした。
翌1日は原目孔房で(…)孔版歓談があり、その日の夜行で京都に向いました。 ほんとうは静岡行きさえきめかねていた状態でしたので、これを機会に是非関西へということは、京都の中林氏等からもお話があり、(…)思いきって足を伸ばしました。
2日早朝京都に着いた私たちはすぐ京都謄研をお訪ねしましたが鯉池(定二)氏は所要で不在、中林(清二)氏は行き違いに静岡へとのことで、更に神戸まで長駆しました。
神戸孔版印刷社に梶原茂信氏をお訪ねし、同代表淀勇氏にもお目にかかり種々おもてなしをいただきました。私の創業時代から苦難を共にして頂いた渡辺佐氏にお目にかかりたい願いが神戸行の一つの目的でしたが、折よく同氏も神戸孔版社に来訪され一別以来の旧交を温め得ました(…)。
更に梶原氏の御案内で大阪に出て、出納謙三氏の謄写学院を参観いたしました。(…)その日の中に再び京都に入り、宿について京都謄研のかたがたとの連絡に当りました。3日は生憎の雨でしたが、京都謄研の方々は各地に電報を発したり種々画策して下さって4日大丸百貨店ホールで茶話会を開いて頂くことになりました。
同日は、遠く三重から青木精一郎氏、神戸から梶原氏、奈良から安達氏、大阪から佐々木氏、横山氏その他の方々が参加され、地元の後藤治郎氏、竹田武司氏、中林清二氏、鯉池定二氏その他の方々と共に東西技術の交流に時間のたつのも忘れました。定刻すぎてホールが閉鎖されてからは、場所を京都謄研に移して継続したものでした。(…)
今度の関西行は文字通りの駆け歩きで、その無計画無軌道振りから種々御迷惑をおかけいたしました(…)。
「昭和堂月報の時代」
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