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板祐生 ―― 人とコレクション 稲田セツ子/「祐生出会いの館」調査研究員 [10] 切りぬき技法の頂点 「蔵書票」と「絵暦」
孔版で“蔵書票”が出来ないものか、一つの試みとしてやってみたいというのが祐生の長年の念願であり、この試みに興味を抱いた九州の元満亥之助氏の後援と、50名の方々の賛同を得て、昭和24年に「板祐生孔版蔵書票の会」が出来ました。 蔵書票のデザインは申し込み者の希望を出来るたけ尊重して制作し、題箋の「杏青帖」は祐生が添え、貼り込み帖は思い思いに作成していただくという約束がありました。 「杏の青さでは食べようがない、精進して黄色く熟す日を念ずるつもりで『杏朱帖』になる日を夢見つつ……」という祐生の思いは、鉄筆を捨て、すべて切り抜き技法で作り上げた蔵書票50人集に凝縮され、「杏青帖」として完成をみました。 祐生の作品の中でも、“蔵書票”に見る比類のない美しさは、祐生の洗練された美への感性と、完壁な技法とが相まって生まれた最高の芸術と賞されています。 昭和26年に蔵書票は、我が国のみならず海を渡り、日米工芸交換展覧会でも表彰されました。このことによって、
祐生は、私家本の制作をひとまず終えると、昭和21年から30年にかけて毎年絵暦の制作に専念しています。一年ごとに12枚が美しい手すきの和紙に刷られ、題をつけた和紙に包まれています。 祐生の絵暦への思いはさまざまでした。「人形づくし」、愛した俳人一茶、芭蕉などの句に絵をつけた「愛誦句集」、2年もの歳月をかけて温めた「大津絵道歌集」、そして昭和30年の「子規句集」を最後の仕事として、翌31年は未完成のまま絵暦への思いを抱きながら、この年の早春、帰らぬ人となりました。 工芸孔版と名づけた絵暦の切り抜き技法は洗練を極め、祐生独特のデザインの世界に引きずり込まれてしまいます。祐生は、蔵書票と絵暦に「切り抜き技法」の頂点を極めたといって良いでしょう。 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] |
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