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板祐生学入門
[2] 律義な“採集”者
文/志村章子

東京で知られていた祐生の顔は孔版画家の顔です。孔版画家の若山八十氏は、「早くから郷土玩具界で、富士のや草紙の名で有名な人」と書いているのですが、これだけの簡単な説明では、とても祐生のもう一つの顔“収集家”の顔は、出会いの館でコレクションの全容に接するまでは見えませんでした。
祐生がなにをきっかけに、これほど熱心にもの集めをすることになったのでしょう。私の関心のひとつです。私のイメージするコレクターは、骨董などを金に糸目をつけずに収集する金持ち、そして男性です。女性は少ないですね。お金が自由になる女性は少なかったですから。

祐生は、「家は貧」とコレクター仲間に自己紹介しているように、生家も貧しく、15歳3か月で代用教員に。月給3円からのスタートでした。教師生活15年、30歳で、月給は宿直費込み47円、年末賞与25円です。本人が書いているのですが、村社会における教師は尊敬される存在であり、「里人の捧ぐる芋や大根などの野菜、婚礼、法事の赤飯や餅に感謝する」つつましい生活。祐生は妻のお金に関する愚痴をいつも聞いているわけです。村人にとってみれば毎月決まった日に現金の入る教師は特別な存在なのですが、自分の採集活動にも貧乏の原因があることを重々知っているからです。

祐生は、趣味人のネットワークによる交換、または寄贈の恩恵を受けることで、コレクションを充実させていきます。
「高価なものはとても無理。交友間の廃品を托鉢している。理解ある友のお陰で今や大分の数になった」
と言っています。律義な祐生は、寄贈品が届けば直ちにお礼状、そして出来る限りのお礼の気持を届けています。所蔵品の一部であったり、土地の産物ワカメであったり。
趣味の会の会費、「富士のや草紙」発行後は謄写器材、インク、和紙など、それに郵送料もかさみます。ぎりぎりの暮らしのなかでの“採集”(昔はモノも採集と呼んだらしい)活動は、“無二の楽しみ”であり、同時に生活との闘いでもありました。
「15円の月給にしては豊富である。趣味もなく殺風景な人が多いのに私は幸福だ」
と大正15年に書いています。本音でしょうね、おおむねは。
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