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板祐生学入門
[6] “山陰に名収集家あり”
文/志村章子

明治中期から、近代化を急ぐ日本は急速にあらゆるものが変化していきます。子どもの遊び道具の変化も同様です(戦争玩具、ブリキおもちゃ、ゴムマリ、動くおもちゃetc.)。こうして郷土玩具は、消え去りゆく各地のものに古い日本の美を見いだした人々の趣味になっていきます。
「趣味」の語が流行語になり普及するのが日露戦争後、明治末です。趣味 --- おもむきの味と書くように、味わい、情緒といったものですが、現代の私たちは、仕事以外の楽しみととらえます。「趣味は何ですか」、「野鳥の観察です」というような使い方です。明治期は、読んで字のごとし、「味わい」のほうにアクセントがあったのではないでしょうか。
「趣味」という月刊誌が明治39年に創刊されます。文中では、英語のテイスト(味わい)も使用されています。

玩具を大人が楽しむ会「大供会」の結成は、明治42年です。晴風は古今東西の郷土玩具を収集しては、肉筆の玩具画集「うなゐの友」(6号まで)を出版、晴風逝去後は、日本画家西沢笛畝(てきほ 1890-1965)によって引き継がれます(7〜10号 大正13年完結)。西沢は「人形玩具趣味の隆盛は、晴風先生のお陰。この種の研究、採集、おもちゃを雅友として楽しむ人も増大している」(7号後記)と記しています。
このように、人形玩具趣味の先達の歩み、ネットワークの形成 --- そのあとにつづくひとりとして祐生の収集活動と玩具研究があったということです。晴風の後継者西沢と祐生の交流もあります。
祐生の収集、研究は、大正6年頃(27歳)までを準備期、「珍道楽」「我楽他宗」入会以後を本格期に一応区分しておきます。趣味の収集家の先達、長谷川加同等から由緒ある逸品(たとえば清水晴風伝来の元禄おやま人形や絵日傘)までを譲り受け、祐生コレクションに加わります。祐生は次第に、地域社会ではもちろん、趣味仲間にも“山陰に名収集家あり”として知られ、ひとかどのコレクターになっていきます。
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