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板祐生学入門
文/志村章子

本稿は、99年9月10日に鳥取県米子市で催されたシンポジウム「板祐生学入門」における志村さんの基調報告を整理したものです。
このシンポジウムについては、ニュースのページにある「孔版画家『板祐生』テーマに初シンポ」をご覧ください。


板祐生学入門 [1] 板祐生との出会い

ご当地には、「板祐生出会いの館」という版画家にしてコレクターである彼の仕事を紹介、展示する博物館があるので、地元の皆様は祐生の名前とどのような仕事をされた方なのかはご存知だと思います。
私は、長く東京圏に住み、東京で仕事をしてきました。東京ではどうかといえば、祐生さんは美術品の収集家など特別な方々にはもちろん有名ですが、謄写業界(今の軽印刷など印刷業の前身)のごく一部分、年代でいえば70代以上の一部の人々の記憶のなかに生きているだけではないでしょうか。こんな感じです。
「ああ、鳥取の板さんね。蔵書票やカレンダーにすばらしい作品がありますよ」
「切り抜き技法の。独自の行き方をした人です」
「私は東京にいらしたときに一度お会いしたことがあります」
たしか、祐生さんは生涯、東は鳥取市、西は出雲市までしか足跡を遺していなかったと、本人も書いていたと思うのですが。すでに伝説の人になりつつあるようです。

私は、ガリ版文化史の掘り起こしをする過程で板祐生を知り、一度米子を訪れたいと思ってきました。「記念館オープン」の記事を読んで、とてもうれしかったのですが、取材でお邪魔したのが2年前のことです。感想を申し上げれば、驚きの連続でした。
(1)孔版画家の名前をつけた博物館は孔版史上、初めてのケースです。知人は「立派な建物でびっくり。よほど町がお金もちなのか」と言い、これも率直な感想だと思います。
(2)祐生コレクションの種類と量に圧倒されました。明治、大正のすでに消えていった庶民の文化を物語るモノがいっぱいです。ごく普通にあったものほど残っていないのが実情です。たとえば鉛筆です。「明治天皇使用の舶来鉛筆」は残されていますが、国産鉛筆の歴史をたどることは難しい。
(3)孔版作品の美しさには感動しました。絵暦、蔵書票、その上に50年、60年もの年月が流れていったなんてとても思えないほど状態もいいんです。
(4)もっと驚いたのは、祐生自身が自分史を物語る資料を後世の私たちに遺してくれたことです。日記、謄写器材はもちろん、印刷済みの原紙まで遺しています。謄写版業者の請求書や、納品書、交友記録、住所録、“何でもあり”なのです。ものから板祐生の歴史が見えてきます。
(6)これらの宝物がおおよそ散逸せずに守られたことは奇跡に近いことです。もちろん、ご当地の心ある人々によって守られてきたことに敬意を表する者ですが、人間の努力以上の不思議さを感じます(大都会では、まず考えられません)。年月がたつにつれて“祐生からの贈り物”は、ますます輝きを増すにちがいありません。

そんなわけで、私は「これは、たいへんな人に会ってしまった」と思ったような次第です。あれから祐生資料を勉強に出会いの館を訪れるのは、今回で5回目になります。私自身が「板祐生学に入門」して間もないので、どうぞ、よろしくお願いします。

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