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板祐生学入門
[12] 祐生版画の魅力(続き)
文/志村章子

謄写版(堀井式謄写版、鉄筆式)は明治27年の発売ですが、毛筆謄写版は、それより6年前に発明されています。発明者は、岩手県の分教場教師だった山内不二門です。
戦後のガリ版黄金時代しか知らない私は、毛筆謄写版を知らないで過ごしてきました。消え去った大きな理由は、毛筆が暮らしの中から消えてしまったことにあると思います。(現在では、孔版画の分野でコロジオン版画として行われています。筆致を生かした表現を得たいときに使われています。)
「富士のや草紙」の表紙や口絵、本文の製版にも毛筆謄写版が多用されています。肉筆を感じさせる表現が特徴です。

毛筆謄写版の原理と方法は、こうぞ和紙にゼラチンなどを塗布した原紙に希硫酸系の液を筆につけてなぞるように書けば、液のついた箇所がぬけます。これなら「つぶし」も一瞬にして完成です。(鉄筆製版は物理的、毛筆製版は化学的方法です)。毛筆印刷用の謄写版もあり、それが「肉盤式謄写版」です。出会いの館には、昭和初期に使われたと確認できるものがあり、うれしくなりました。今までずいぶん謄写版を見て来ましたが、肉盤式は祐生のもので3台目です。
明治、大正、昭和と長く使用されてきた毛筆版ですが、知らないうちに姿を消してしまうのですね。
祐生も学校で使い慣れていたのでしょう。書道の手本、学芸会の看板もいいです。小さな細い文字にはガラスペンが用いられました。使用した人によれば、液が臭かったこと、着ているものに落ちると、その部分に穴があいてしまうのには困ったそうです。もっとも大きな短所は、時間の経過にしたがって液が周囲に広がって、たくさんの印刷ができなかったことです。「富士のや草紙」の発行部数は50〜100部と推定されますが、当時ではこれ以上は難しいかもしれません。

(4) 祐生晩年の作品の深みにある独自の色彩は、石版インクを混ぜ合わせて作り出されたものでした。初期には岡田謄写堂や堀井謄写堂などの謄写版用インクを使用しましたが、油性のため、印刷物の油じみに悩みます。
どのような経緯から石版インクに到達したかは不明で、わたしの知りたいことのひとつです。祐生は米子の大谷石版所、松本石版所とは交流があり、松本石版所では実際に石版に製版したこともあるので、これが石版えのぐを試みたきっかけかもしれません。あくまで推測ですが。
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