謄写印刷器材店のPR誌から覗いた戦前・戦後史

昭和12年 (1937年)

『昭和堂月報』はこの年3冊が発行され、5月のNo.29で終刊しました。No.28では植本十一氏が初めて署名入り記事を書いて、製版も担当し、No.29では東京美術学校(東京芸大)出身の浅野一郎氏が製版にあたるなど、新進の活躍が目立つ一方、編集陣の竹内、草間、千田氏は、多少の行き詰まり感じていたようです。3氏が『昭和堂月報』で共同作業を再開するのは、これから11年後の昭和23年です。

この年、草間京平氏は堀井謄写堂の工場がある荒川区に居を定め、満州国嘱託として渡満する昭和17年まで比較的長い定住期間が続きました。この間、堀井謄写堂や宮川良氏の日本謄写芸術院で多くの仕事を残しています。

東京の業界では、この年、プリント出版をめぐる紛争がありました。さらに翌13年には、業界の一部に大きなダメージを与える出版法違反事件が続きました。
第T部 戦前編
昭和 8年(1933)
昭和 9年(1934)
昭和10年(1935)
昭和11年(1936)
昭和12年(1937)

第U部 戦後編
昭和23年〜36年

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■この年
7月、蘆溝橋で日中両軍が衝突、日中戦争(支那事変)起こる
11月、イタリア、日独防共協定に参加