日本謄写芸術院

宮川良が草間京平を顧問として設立した教育機関。機関紙の『謄写研究』は、外地の満州、朝鮮でも読まれ、謄写印刷の普及に大きな役割を果たした。設立の経緯とその後の概要が「佐川義高年譜」にある。

(竹内三二郎編『佐川義高遺稿集』所収「佐川義高年譜」昭和5年の項)
 10月21日付朝日新聞社会面《発明狂時代》の一篇として《線も色も自由自在、謄写版の理想化、佐川義高氏の新技術》と、彼の作品と人間像が紹介された。
 宮川氏は昨年来しばしば彼を訪ね、彼を講師に謄写版講習会を持ってきたが、朝日新聞の記事をみて、この気運に乗って孔版技術の全国的普及活動を起こすことを決意し《日本謄写芸術院》を創設し機関誌《謄写研究》五千部を翌年一月十日付で発行した。《教員養成講義録》で通信販売の経験をもっていた宮川は、その読者層をはじめ、一般愛好家や、ようやく専業化が進められてきた謄写印刷業者間に固定会員を増やして行き、昭和十五年末まで十年間、この種のものとしては稀にみる長期にわたって継続された。
「昭和堂月報」の時代
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