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こだわりの山の会報『井の頭』 文/山田修司 山歩きの同好会「新ハイキング井の頭」の会報『井の頭』の編集を30年以上にわたって担当している山田さんのエッセイです。同誌は最近ワープロを併用して作られていますが、イラストや地図は現在も謄写版で作られ、謄写印刷の質感を生かした誌面は健在です。 (初出/「ガリ版ネットワーク通信」98年3月号)
[1] 400号越えた山の会報 私が編集し書き続けている山の会報「井の頭」は、この2月で406号(毎月1回発行)を発行しました。第1号が昭和39年5月ですから、33年と9ケ月が過ぎたことになります。 井の頭に入会したのは昭和38年でしたが、学生時代は美術部に所属し絵を描き、そのために登山をするのが趣味でした。ある時書店で「新ハイキング」という雑誌を見て、その支部である井の頭に所属したのがきっかけでした。 当時はガリ版が全盛時代で、職場の係ごとに1台は謄写版がありました。私も趣味を生かして、ポスターや案内書、チラシなどをよく頼まれてガリ版で書きました。また当時、水道橋に中央謄写学院というガリ版を教える学校があり、夜通学しました。 そんなことで、会報を私が作ることになりました。「会報1号」当時は、会員も二十数名、月に1回の山行計画が目標で、B5判で4ページの会報でした。 内容は今と変わりなく、山行計画、山行報告、会員の広場に分けて編集しました。原紙は四国原紙のAプリント縦書きを横に使いました。特に山行計画には力が入り、山行ガイド地図は2万5千・5万の国土地理院の地形図を拡大、縮小し、原紙を上にのせてトレスして執筆するのですが、当時はまだコピー機という便利なものが無かったので、正確なイラスト地図を書くのには苦労しました。 地図上の尾根(稜線)や囲みの枠やカットにアートヤスリ、川や沢や池は絵画面ABを、山名タイトルはXAのつぶし、文字はXC、方眼B、Cを使用しました。 ハイキングブームが始まった昭和45年12月には、会員も100名を越え、月に3本位の山行計画が実施され、会報もページが6〜8となってきました。 昭和47年11月に会の仲間と縁があり、井の頭の会長さんのご媒酌で結婚しました。このころから会員も増え続けました。昭和55年には会員も200名を越え、毎週1本は計画が実施されました。当然、ガリ版も忙しくなり、妻も見兼ねて、山行報告の欄は(4〜6ページ)書いて応援してくれました。夫婦で明け方まで「ガリガリ」の音がつづくことも多かったのです。 こだわりの山の会報『井の頭』 [2] [3] |
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