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大山緑陰シンポの記録 奥山俊二・編 本稿は、99年9月10日に鳥取県米子市で催されたシンポジウム「板祐生学入門」の模様を奥山俊二さん(西伯町地域振興会事務局長)に整理していただいたものです。 このシンポジウムについては、ニュースのページにある「孔版画家『板祐生』テーマに初シンポ」をご覧ください。「板祐生学入門」を含む大山緑陰シンポジウムの全記録は、2000年5月に「本の学校」から出版される予定です。 パネラー 志村章子(フリージャーナリスト) 青砥徳直(板祐生研究家) 河上進(「本とコンピュータ」編集部) 司会 永井明子(米子今井書店出版企画部) シンポジウムにおける志村章子さんの基調報告は、「板祐生学入門」と題して加筆したものを別ページでご覧いただけます。また、河上進さんが配布した「祐生人脈図」も別ページにあります。 司会 鳥取県は西伯町が生んだ孔版画家で、郷土玩具収集家の板祐生にスポットをあて、彼の仕事とその活動を通して人的ネットワークなど、さまざまな視点から魅力に迫っていきたいと思います。 彼は、昭和31年に66歳で亡くなったということですから、今年は生誕110年ということです。そう大昔ではなく、また本人に会ったことがあるという方もおありの今、こういう機会を設けることができたのは、本当に面白いことだと思います。「板祐生学入門」として興味を持たれるきっかけになればと思います。私も知識はありませんが好奇心だけは持ってきました。今井書店出版部の永井と申します。どうかよろしくお願いします。 まずは、彼の人となりと孔版画作品を紹介するスライドを見ていただきました上で、志村章子さんに基調講演をお願いします。 ─── スライド上映に続いて基調講演あり ─── 司会 ここからは、志村さんを含め祐生に縁を感じて集まられたお三方に、三人三様の切り口で、「私の祐生論」を話していただきたいと思います。 それでは、青砥徳直さんを紹介します。青砥さんは、平成2年10月から、西伯町中央公民館の勤務に就き、コレクションの整理に携わってこられました。また、散逸した資料収集に日本全国を駆け回るなど、地元の方のあつい情熱があってこそ、今私たちは祐生作品やコレクションに出会うことができるのだと思うと、頭の下がる思いがします。作品収集のプロセスをお話いただければと思います。 青砥 彼の生涯は先ほどのスライドでご納得いただけたと思うので、その後の話をさせていただきます。当時、遺品の寄贈を受けた西伯町で資料の保存会が結成され、300万円の基金で資料館建設の運びとなったのですが、残念ながら目標額に達せず断念されたようです。 私は、まず郷土玩具の整理から始め、一品ずつ写真に撮り、綿入れをして保存しました。しかし、孔版画の作品群は見あたらず、作っているのに残っていないことに気づき、作品集めと調査に集中しました。調べてみると、地元の人とは交換していなくて、全国の仲間に渡っていることが分かりいました。それは、私家本の発送原簿があり、これには、宛名と発着で、住所のない人が多く、知人、交友をたどり、北は青森から福岡まで関係者を訪ねあたりました。偶然にも同級生が福岡に嫁いでおり、聞けばその近所であったため訪ねて見せてもらいました。 既に当時の仲間は80代、90代を越えた高齢者が多く、また他界された方もあり、作品の行方が心配です。また、遺族の好意で館に寄贈を受けるなど偶然の産物もありました。東京の版画店や書店で、榛の会のアルバムや「版芸術」を偶然にも見つけ、購入の約束をして帰り、町で予算化してもらい取得するなど偶然が続いたと言えます。 司会 ありがとうございました。偶然が重なるとは必然の結果ではないでしょうか。続いて、河上進さんを紹介します。河上さんは「季刊・本とコンピュータ」の編集者で、ライターとしても活躍されています。戦前のコレクターの歴史に興味を持っておられ、祐生を一人のコレクターとして、また編集者の観点から人的ネットワークについてもお話をいただけると思います。 河上 祐生の存在は、志村さんとの仕事のつながりで知りました。 記念館にある膨大な量と数に驚きました。私は、隣の島根県出雲市の出身ですが、それまで全く知りませんでした。コレクターと言えばマニアックな暗いイメージが漂うところがありますが、祐生にはそれがない。コレクションで知った豊かな世界を知っていました。それを私家本にまとめたものが100冊以上もあります。榛の会などのグループに属していても、全方位で収集しており、没後地元西伯町に寄贈されたものが、トラック13台もあったとはとてもびっくりです。 そして、スクラップブックや貼り込み帳にも順次整理されたようです。 ── 実物を手に説明、「火の用心」「国勢調査のチラシ集」の貼り込み帳を見せながら ── 最近では、雑誌にも掲載されプレミアムのついたポスターもあります。 また、我楽他宗にも参加しネットワークを広くし、雑誌「趣味と平凡」の編集や表紙の絵も手がけたほか、オリジナル名刺の交換や収集家同士で、趣味誌の投稿、交換を続けて有名になっています。 また、お札博士で有名なスタール博士の来日、来訪の新聞報道でも有名です。 このように交換や文通と出版で質素な中にもとても充実した生活を送っていました。そして、常に夢を追い続け、可能はつながりであると「青駒」に書いています。 司会 祐生にひかれる訳を聞いたような気がします。孔版画に残して、人に発信していけるコレクターだから興味が湧いてくるのだと思います。ありがとうございました。 次に志村さんにまた新しい切り口で、「近代郵便制度とガリ版の役割」ということで、お願いします。 志村 近代郵便とガリ版が、祐生の世界を可能にしたと言えます。山村僻地でもくまなく届く均一料金制で、ハガキから小包まで扱う。安いコスト、簡便性が庶民層まで広がったと言えます。また、日本人はハガキ好きであり、年賀状などプライバシーを尊重する他の国には見られない開放的な民族であると言えます。それが文化につながったと思っています。 彼は日記に、郵便が届く午後3時がいちばん好きな時間であり、幸せを実感するときであると書いています。遠出しないで、交換や収集を可能にした郵便の力は偉大です。また、昭和12年までの40年間、郵便代が据え置きであったことも、庶民の味方であったと言えます。 また、ガリ版は簡単で電力不要の省エネタイプで、学校や役場にあって、そこに行けば誰でも使えたことが活動をより可能にしたわけです。 司会 お三方に「それぞれの祐生論」をうかがいましたが、フリー討論として会場のみなさんからも参加していただけるとうれしいのですが。 男性 公立の博物館の運営は大変と聞いていますが、良い方法でもあれば聞かせてください。 青砥 資料を残したり自主活動を続けるには、行政の支援も必要ではないかと思います。 河上 もっと町民への周知はもちろんですが、町外へのPRや、カネもかかると思いますが収蔵品のカタログづくりも必要と思います。今、会場で募集中のファンクラブも良い方法と思います。早速私も入会しました。 男性 PRにはカネを惜しまないでやって欲しい。知ってない人への発信方法を考えることが大切です。館へ行った人は、みんな感動しておられるのは事実です。 司会 鳥取県が自慢できる人の一人ではないかと思いますね。 女性 過去、館へ足を運んで見せてもらってますが、お話を聞いて胸が熱くなりました。私は、大人の視点からではなくて、幼児期からいつでも目に触れさせるような環境づくりをして普及させるべきだと思います。 司会 最後にお三方にこれからの祐生との関わり方を話していただきたいと思います。 河上 戦前の趣味とコレクションの歴史について、もっと研究すれば深まると思っています。個人的には、志村さんに「祐生の伝記」を書いてもらいたいと思っています。 志村 館の倉庫に通いながら、祐生とつきあっていきたいと思います。また、彼のコレクターとしてのバックボーンが、どんな思想や考え方なのか分かってくると思います。 司会 とても意義深いお話をありがとうございました。以上で閉会とさせていただきます。 (2000.3.27)
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