謄写印刷店は小資本で開業でき、2〜3人規模の店が大半であった。器材販売を兼ねる昭和謄写堂の場合は多少人数が多かったが、それでも右の昭和8年末の名簿のうち店員といえるのは半数ほどで、他の半数は契約社員的な立場で仕事をしていた。 間取りと店構えが、幅のメモなどからわかる。入口の左右にウインドウを置いた形式は、ごく一般的なもので、本家の堀井謄写堂を模したものが広がったらしい。店頭の看板はフリーで注文を取りにきたレタリングマンに書いてもらった。器材販売兼業店では、 ほかに「謄写版とその印刷」という立て看板を店先に出した。 店舗規模も平均よりやや大きかったと思われるが、この家で店主夫婦と店員4〜5名が寝食をともにした。また、店主の郷里から東京見物に来る者が旅館代わりに利用することも多かった。写真の人物も、上京してきた幅の父と伯父である。 |
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