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ガリ版ネットワーク日誌[1999年12月] 12月某日 神戸市のMさんより電話があった。 「来週、東京に転居するが、スペースがとれないので、ホリイ輪転謄写印刷機を手ばなしたい」という内容。現在も動く印刷機であり、ゴミにしてしまいたくない(明日が今年最後の粗大ゴミ収集の日)ので、譲渡先を探していたが見つからなかった。ところが、きょうインターネットのホームページWeb謄写印刷館でガリ版ネットワークを知った、という。「よかった、よかった」と喜んでくれる。 さっそく山形謄写印刷〈ガリ版〉資料館の後藤事務局長に連絡して、Mさんにはそちらへの発送を依頼した(後日、後藤事務局長からホリイの輪転機なかったので、うれしかったと連絡があった)。こうして一件落着。手刷器にしろ、輪転機にしろ、これまで個人が保存してきたのは、愛着があってのこと。これから10年後のことを考えると、現存する機器(関連器材)、印刷物等、なんとかして収集、保存したいものと思う。 12月某日 「15日だより」(No.80 12月号 個人通信 押本茂寿編集・発行)が届いた。翌某日にも「井の頭」(新ハイキング井之頭機関誌 注・一部のみ謄写版)と「遊撃」(第316号 詩のミニコミ 長谷川修児編集・発行)が届く。 「15日だより」には、発行人押本さん撮影の写真がよく貼られてくる。今号は、秩父の夜祭を訪れ、その賑わいと笠鉾の灯の美しさに興奮する押本さんのエッセイとともに、闇に浮かび上がるぼんぼりやちょうちんの写真が直貼りされている。読者にその美しさを伝えたい思いの写真とガリ版刷り。その人らしさが伝わるのが何より。 ことしもガリ版刷りの機関紙、個人通信がつつがなく発行された。NHKテレビ(12月12日放映「新日本探訪」)では、西表島で32年間発行しつづけているガリ版家族新聞(那根武さん 90歳)が紹介された。家族が勤務などの都合で西表島と石垣島にわかれたため、「連絡の方法として創刊」したとのことで、32年にわたって、家族の状況、島のニュースを伝えてきた。帰島した孫たちがローラーを握り印刷する場面もあった。 12月某日 JETRO(日本貿易振興会)から電話。「中米の某国の大使が全国88小学校に謄写版導入を考えている。印刷器一式わけてもらえるか」という内容。ラオスでの小学校における普及情報も把握してのことらしい。21世紀も発展途上国のローテクとして電力不要の謄写版の出幕は必ずあるだろう。“先進国ニッポン”でもハイテク一本では不安な世の中。ハイテクもローテクも、が健全と生活者としては考えている。 12月某日 Web謄写印刷館の既報、NEWS「三重県の謄写印刷人」について、記事掲載までの経過等を伝えたい。 電動三輪自転車で外出から帰ってきた岡山音次郎さん(九二)はガリ版で作られたB6判の冊子を手に、「懐かしいなあ」と、絞り出すようにいった。『謄友』創刊号。昭和二十二年(一九四七年)十二月十日、三重県謄写印刷技術者協会発行(松阪市魚町)とある。朝日新聞(三重版)12月9日号の書き出しである。一冊の謄写刷り冊子『謄友』を案内役に、戦後の謄写器材の販売店、技術者の活動、簡易印刷器の変遷から松阪の庶民のドラマを描いた記事で、同紙松阪通信局の由本昌敏記者の筆になる。 実は、『謄友』はガリ版ネットワークの収蔵資料で、事務局の志村が由本記者に貸し出したものである。「ガリ版ネットワークに松阪在住の会員はおられますか」という電話をもらったのは10月半ばと覚えている。企画もので“松阪の町のものがたり”を書く予定で、まず「ガリ版」からスタートさせたい、のだそうだ。 さっそく所蔵資料の『謄友』を紹介したのだが、これは、伊勢市の楠木明男さんから、父君の楠木木逸さんの遺品としてガリ版ネットワークに寄贈されたものである。「楠木さんの父、木逸さんは協会結成の推進者だった」と文中にある。“アンカー”をつとめた由本記者に至るまで、見えない糸でつながった時間とひとの“ものがたり”があったことをしみじみ感じている。 掲載後、全国のガリ版ファンに見てもらえるよう、記事全文をWeb謄写印刷館で紹介したい旨、由本記者に依頼したところ、朝日新聞の著作権管理センターでは、こうした依頼はすべて断っているという。申しわけなさそうな電話だった。不自由なことだ。著作権の保護が大切なことはわかる。しかし、商業ベースから個人のHPまで、すべてに禁止なのが納得がいかない。実際のところ、どこで線を引くかは、むずかしいことなのだろうが。 戦後、小学生になった(一年生のときは国民学校)私は、先輩諸氏の具体的体験から、書く自由、読む自由は、ごはんより大切と教えられてきた世代である。その原点は忘れたくない。 (99.12.21、志村)
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