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生誕100年の年に郷里で開催 「謄写印刷の芸術 ―― 草間京平の作品から」 文/志村章子 茨城県水戸市の常陽史料館で「謄写印刷の芸術 ―― 草間京平作品から」が開催中(9月12日〜10月27日)である。同史料館は、地元常陽銀行60年を記念し7年前(平成11)に開設され、金融経済資料の収集と共に郷土の歴史、芸術文化を紹介してきた。「謄写印刷(孔版印刷)を芸術の域まで高めて“謄写印刷の神様”と称された」(同展パネルによる)草間京平(1902〜1971 本名・佐川義高)も、同県久慈郡里美村出身者である。生涯を謄写技術・器材の開発、普及活動に持てる力を注ぎこみ、天才孔版技術者の名をほしいままにした草間だが、今回が“草間京平展”といえる催しの最初のものである。 しかも、今年は草間の生誕100年にあたり、没後29年である。今回の展覧会開催は、“謄写版の神様”がいかに忘れられた存在であったかを、謄写印刷衰退から今日までの技術革新のスピードと共に確認した思いである。(会場には、謄写版の老舗、堀井謄写堂製の原紙など器材、同社の依頼で制作された多色印刷物も展示されたが、同社(現・ホリイ)は9月はじめに倒産している。) 里美村の旧家である佐川家(草間の生家)は、明治の祖父の代に没落し、父母が相ついで夭折したことから、草間は16〜17歳(大正7、8年)で上京している。里美村教育委員会が『謄写印刷の天才・神様と称された佐川義高は里美村生まれだった ―― 草間京平伝』とする長いタイトルの冊子を発行、村の全世帯に配布するのが、わずか3年前(平成11)である。昨今はやりのテレビドラマのようだが、歴史の闇に埋没されてしまった“村から出た逸材”を町民に紹介する必要からである。どれだけ長く忘れられていたのかは、現教育長の屋敷が、もと佐川家(草間の生家)だったことを戸主本人がまったく知らなかったというほどである。 同展の展示物(山形謄写印刷資料館所蔵品)は、草間京平の制作した60点を年譜、写真、関連史料と共に紹介している。昭和戦前(1930年代)、草間の30歳前後につくられた多色刷小品は、大正モダニズムの香りを放っている。もっとも人目をひくのが、戦後制作で円熟期の代表作ともいえる「雪中美人」であろう。神田三崎町の“謄写版のデパート”を標榜した昭和謄写堂のカレンダー(昭和28)として草間に依頼、好評により翌年、一枚ものとして500枚を増刷、頒布(価格120円)された。同展には、この2点が並んで展示されている。美濃判原紙をたてにつなぎ合わせたサイズで、黒頭巾の女性の着物の柄を製版するために円筒ヤスリを特注したとされる。 謄写印刷史の現在までの流れと内容理解を目的に若山八十氏の創作孔版画、赤羽藤一郎、佐藤勝英の復刻工芸作品も展示されている。小規模の展覧会であるが、わかりやすい展示で、謄写印刷の世界に初めて接する来場者の興味をよぶものであろう。地元では永く埋もれていた不世出の天才孔版技術者、草間京平の人物と仕事を紹介した展覧会として、ガリ版文化史の一コマとして位置づけることができる。 「ガリ版と親しんだ世代のはずだが、このような高度の多色印刷物がつくられてきたことを今まで知らずにきた。驚き以外の何物でもなかった」と同館館長の遠峰駿一郎氏は語っている。なお、同展の主催である(財)常陽藝文センターの発行する「常陽藝文」(9月号)の巻頭特集「藝文風土記」は、「“謄写印刷の神様”草間京平」(12ページ)である。 会期中の毎日曜日(午後1時〜4時)には、地元で活動をつづける孔版愛好者グループ、孔版茨城学友会(代表・横山久義氏)会員による作品展示と、謄写印刷体験コーナーも設置されている。 (02.9.19)
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