謄写堂本店の図。謄写堂は、謄写版の発明者堀井新治郎が明治27年(1894)に、東京神田鍛冶町で起こした。
後、堀井謄写堂を経て、現在はホリイ。
若山八十氏「孔版文献物語」は、この図を次のように説明している。
《正面入口左手に細長い板看板がかかり、それには陸軍御用謄写堂とある。ウインドーには商品が飾られ、その上の3つの額は、おそらく展覧会や博覧会、品評会などで得た賞状でもあろうか。店へ入ると昔の呉服屋のような上がりがまちで、店員が客に接しており、街上のレールの上の乗物は、当時の花形であった鉄道馬車というやつで、上野から新橋あたりまで通っていたもの。人力車がいせいよくかけめぐり、黒いまんじゅう笠の郵便夫が走り、天秤棒をかついだ物売りが叫んでいるという神田鍛冶町大通り3番地の風景である。》
(明治30年代前半と思われる謄写堂のカタログ「謄写版解説」より)
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