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ガリ版ネットワーク日誌 [2003年11月]


11月9日(日)
衆院選投票日。昨秋に引き続き「ガリ版<きほんのき>一日講座」を昨年と同会場(生活クラブ地区館すてっぷ)で開催。受講者6人。北浦講師、謄写版のしくみから技法まで受講生を鮮やかに導いていく。昨年と異なるのは、ガリ版ネットワーク収集史料を少々展示したこと、テレビの子ども向け科学番組のディレクター、カメラマン3名が参加・取材が行なわれたこと。和気あいあいの6時間だった。

11月某日
祐生出会いの館の稲田セツ子さんから電話をいただいた。「イルフ童画館」(館長・小口謙三氏)に武井さん(童画家、さしえ画家、版画家の武井武雄)が『ガリ通』を刷った愛用の謄写版が寄贈されたんですが、スクリーンだけがないので、館長さんがさがしておられます。志村さんを紹介した」という内容。寄贈者は、武井の長女三春さんである。同館では、11月7日から開催の「榛の会作品展」にあわせ、武井愛用の謄写版も展示する計画なのである。「ガリ通」は榛の会機関誌で、50数部(会員・50名前後)が武井の編集、製版、印刷で発行された。1935年から1954年の20年間に38号が発行され、20号、21号のみが板祐生(製版、印刷、製本)の手になるものである。「ガリ通」の歴史、武井と謄写版など興味あるものだが、いずれご紹介の機会もあると思うので省略する。
「スクリーンが欠けている」との連絡を受けたときピンときたのは、1930年代の印刷器なら最初からスクリーンを添付していない直刷り機だったのではないか、ということである。
小口館長と電話で連絡を取り合うが、印刷器のメーカーも、いつごろのものかも不明なので岡谷まで出かけることにした。
武井の謄写版(3号 半紙サイズ)は、一見して戦前昭和に製造されたものであると思われた。そして、厚手の木製外箱のラベルの断片にマークらしき一部が、かすかに見える。楕円の中にSと横線、さらによく見ると横向きの動物らしき絵柄。HS(林商店)と馬(ホース印)であった。戦前・武井が都内で買い求めたものか。
肝心のスクリーンだが、やはり直刷りのようである。枠には原紙止め用の金属が上下左右にあり、台盤には、もとは緑色のラシャ布が敷かれていた場所にガラスがはめ込まれている。これは武井による改造と思われる。ガラス店で入れてもらったものであろう。ハガキ判用の小さなヤスリは、使い勝手を考えて厚い木材で台の部分を広げていた。武井は、このように工夫の人であった。

11月某日
モンゴル支援などで知られるNGOピース・ウインズの上田香さんが来宅。「教育現場での謄写版普及事業を準備中。謄写版情報と謄写技術を学びたい」という。日本から派遣する謄写技術者紹介も依頼された。ラオスでは、同国産トーシャバンが普及したが、モンゴルでは、中国内モンゴル製の謄写版を使用するとのこと。有史以来の激しい変化といわれる中国だが、あれだけ普及し、10年前までは庶民の印刷器として使用された“謄印”が100%消え去ったとは思えなかったので、中国国産の謄写版の健在に感銘を受けた。電気のきていない内陸部の山村校の教育には大きな力を発揮するはずである。
謄写技術者派遣については水戸の孔版茨城学友会の横山さん、天尾さんをご紹介したところである。来年(2004年)3月、ウランバートルで、小学校教員などを対象に謄写印刷講習会開催予定という。(2004年3月現在、同講習会は延期となっている)

11月某日
ガリグラファーを自称した山形の版画家冬澤未都彦さんの個展が、東京・銀座のシロタ画廊2で開かれた。30点ほどの作品は、木口木版、アクリル版(これもビュラン使用)。新しい境地に飛ぼうとしているかにみえる冬澤さんである。なお、ガリ版に手彩の作品も展示。

11月某日
町田市に住む会員の森律子さんが、自由民権資料館(町田市野津田)で開催中の企画展「浪江虔・八重子と私立南多摩農民図書館」のチラシなどの資料を送ってくださった。「浪江夫妻の活動に謄写版のはたした重要な役割を感じた」からである。農民図書館運動には、浪江愛用の謄写印刷器やガリ版刷りの印刷器も展示されているというのだ。
さっそく行ってみた。自由民権資料館は、地味ながら自由民権運動が盛んだった多摩地方を中心とした資料を所蔵、展示している。農村の人々のための図書館をつくった人の今回の企画展は、自由民権資料館の企画として似つかわしいと感じた。農村に溶けこもうと夫は園芸学校に学び、妻は助産婦の資格を取得する。浪江の南多摩農民図書館は1940年に開館、1989年閉館。50年の歴史があった。民間レベルで志を形にする人々にとって情報発信、コミュニケーションの道具として謄写版は必至のものであったことを実感させる展示会であった。

浪江愛用の謄写版に添えられた解説文は、次のとおりである。
・書斎にあった謄写版印刷器と謄写版(注・ヤスリのこと)とろう原紙
これらは虔と切っても切れない関係でした。社会的活動をはじめた1920年代から1970年代前半まで、虔が書き連ね発しつづけたさまざまなメッセージは、すべて1枚のろう原紙とガリ版印刷機から生まれました。
浪江の謄写版は、外箱やラベルはないのだが、戦後製造のバンコ製ではないかと思われた。武井や浪江の愛用器をみて思うのは、きれいに使用されていて、お二人の人柄を感じさせることである。学校や役所など公の場で使用され、ネットワークに寄贈された謄写版にこびりついた汚れ、出しっぱなしで固まってしまった赤インクやアイ色のインクを見ることも最近では少なくなったが…。モノは使用者を雄弁に語ることがある。

(事務局・志村章子)
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