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ガリ版ネットワーク日誌 [2002年12月]


12月1日
日曜日。天気もよい。遅くなったが「秋の器材頒布」作業を“志村倉庫”にて行う。協力者は内山、吉田、小沢、藤井、北浦、楠本さんに藤田さん(元・ホリイに勤務)。志村を入れて8人。20代から70代、男女半々とバランスもいい。狭いわが家は、たちまち“作業場の活気”をおびる。人海戦術は功を奏し、午後4時に終了。これまでの最短記録である。

12月某日
器材が会員に届いて電話、FAXなどある。「到着しました。ほんとうにうれしかった」などの一言が、こちらもうれしい。九州の伊豆さんからは「私たちは、サクラ版画インクを使っていますよ」との情報を得た。謄写インクが品薄になった昨今、自分の印刷にあった各自の器材研究も必要になってきたのでは。

12月某日
『バーナード・リーチの日本絵日記』(柳宗悦・訳 講談社学術文庫)を興味深く読む。イギリス人陶芸家として著名なリーチの3回目の来日(1953年)の滞在日記だが、もともとガリ版印刷をしてイギリスの知人30〜40人に送ったものである。世田谷育ちのわたしは、日本民芸館まで近いこともあってリーチの作品に親しんできたが、最近の関心は白樺教師赤羽王郎との接点である。赤羽は故郷の小学校を追われ、4か月間を我孫子(千葉県)のリーチ窯を手伝ったことがある。リーチのガリ版。王郎のガリ版。歴史は、おもしろい人物を出合わせる。1919年(大8)のことである。赤羽33歳、リーチ32歳である。リーチは翌年帰英するが、次の年、「柳宗悦、富本健吉、岸田劉生、高村光太郎の四氏へ複写紙刷の近況報告」を送っている(「年譜」による)。ガリ版かカーボン紙利用かわからないが、同一文書を複数の友人に送付することがあったようだ。1953年のガリ版は、堀井の謄写版? 赤羽王郎愛用の謄写版は、堀井の綜合版(大正15年発売。現存する同種はスクリーンを取りはずし、はんてん幕を取りつけてある)である。

12月某日
ネットワーク支援者のひとりである山本孝造さん(ビンの研究者として知られる)から「こうはん」(梶原茂信・編集/発行 第3巻4号 昭和23.6.1発行 B6判 12P)の寄贈があった。京都府立ニ中(旧制中学5年)時代に、関西地域の謄写技術者鯉池定二・中林清二の共同経営する印刷所で購入された由。のちに鯉池、中林には、青年団主催の謄写印刷講習会の講師を依頼したこともある。巻頭はゴシック体の名手、小泉与吉の小文で、孔版印刷に対する調査で楷書体が読みやすさ、好ましさで第1位だったことに愕然とした…ことなどを書いている。戦後、いち早くこうした小サイズの謄写研究誌が全国各地で続々と刊行されている。やっと活躍の時代が戻った謄写人たちは鉄筆と共に希望を握りしめていたのだろう。

12月某日
会員のWさん(北海道)から「困っています」と電話があった。

W 頒布してもらった原紙で絵柄をかきましたが、印刷しても全然うつりません。もう3枚も無駄にしました。私が今まで使っていたのは青色でした。
事務局 もしかしたらWさんのはボールペン原紙ではないかしら。タイプ原紙を応用して作られたボールペン原紙は化学変化をおこすので長期保存はむずかしいし、品薄です。
W 困りました。これからも入手できないなら、ロウ原紙にします。
事務局 そうすると鉄筆とヤスリも必要ですね。
W ………。ヤスリが必要?
事務局 ボールペン原紙には、何を敷いていますか。かたい面が必要と思うけど。
W 鉄の板です。ヤスリじゃ絵がデコボコしてしまうでしょう?
事務局 目の細かいものもあります。ヤスリは必要ですよ。(後略)

私は倉庫(私んちの押入れ)から製造後、年月がたっているので少々いやなにおいのするボールペン原紙を引っぱり出してWさんのもとにお届けしたのだった。押入れも近々、整理しなくてはと思いながら。

(事務局・志村章子)
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