●Web謄写印刷館
●「ガリ版ネットワーク」目次


ガリ版ネットワーク日誌 [2001年10月]


10月某日
孔版作家の本間吉郎さんの個展「キチローの孔版遙塵抄展」が、銀座の画廊「路地裏」で開かれた。小さなギャラリーは、ほんとうに奥まったところにあった。銀座の路地は、表の顔がよそいきなら、ふだんの顔であり、こうした路地が存在すること自体が、東京の新興の街と違う魅力である。今回の展示は、自作の短歌にイラストを添えた作品が中心。歌人でもある本間さんの短歌が、白抜きのフリーハンドで黒艶紙に刻されている。孔版ならではの味わいである。

10月某日
NHKテレビのドラマ「42歳の修学旅行」(芸術祭参加作品)に謄写版と印刷風景が登場。小学校教師を演ずる田中邦衛が「修学旅行のしおり」を印刷するのである。風化が進む謄写印刷の歴史だが、多数の人々に残る最後の記憶は、学校のプリントではないだろうか。実際は、日本のあらゆる分野で使用された実用器だったのだが…。未確認だが、明治初期のテレビドラマで、謄写印刷する場面があったという。嗚呼!

10月某日
11月28日の秋の器材頒布に向けて着々と準備を進めている。簡単にその仕事をお伝えしておく。「ガリ版ネットワーク通信」の企画・編集、「在庫リスト」の制作、「通信」製版・印刷・製本、「通信」の発送の実務(会員+器材・資料寄贈者におくる)、「器材希望者からのハガキ」に関する実務等々。佐藤幸三、安藤信義、伊藤典子、楠本公子さん、それに「通信」の寄稿者、頒布作業の協力者と、ネットワークの活動は、少なくない人々にささえられている。

10月某日
先号の「ガリ版ネットワーク通信」(17号)で、毛筆謄写版の発明者、山内不二門の足跡を宮城県志津川に訪ねたルポを掲載したが、その後、孫の山内玄人さんから新資料をいただいた。不二門三女・加子(ますこ)が当時の志津川小学校長・田辺友三郎の長男と結婚したことにもふれたが、田辺友三郎校長は、明治時代の「唱歌」の作詞者(石原和三郎と田辺が大部分を担当)であることを知った。年配者にはなつかしい「モモタロウ」、「ヒライタヒライタ」等々である。毛筆謄写版生誕の地には、不二門の足跡は消えていたが、田辺友三郎校長も同様である。
(2002年3月28日、事務局・志村章子)
●SHOWA HP