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ガリ版ネットワーク日誌 [2001年8月]


8月某日
いただいた器材には、さまざまな印刷物の刷り損じがまじっていたりして楽しい。この謄写版がどこで使用され、どんな仕事をしていたかを如実に物語ってくれる。
きょう届いた印刷器には製版ずみの原紙(卒業式の父母への「案内状」)が入っていた。70年代末ごろの日付。この「案内状」、活版で刷ることになったのだろうか。「校長先生! もうガリ版の時代ではありませんよ」と若い先生に言われたりして。こんな勝手なことを想像したりもする。送られた器材は、荷をほどき、内容を改めてから領収書を郵送する。ネットワーク事務局の日々の仕事は肉体労働、汚れ仕事が多く、きょうも汗びっしょり。

8月某日
JR出雲のB寝台で米子へ。板祐生(いた・ゆうせい。びんの研究家山本孝造氏の進言で、日本中に知られるまでルビをふることにした)の博物館―「祐生出会いの館」でこの数年つづけている調べもの、取材などを行う。
今回は、もう一つ目的があった。現地で徳島謄写印刷研究会の坂本秀童さんと小西昌幸さんに会うことである。館では三人三様、調べものに熱中した。研究テーマを持つ人にとっては、祐生が生涯をかけて収集・分類・整理を行った諸資料は宝の山というしかない。なにが出てくるかわからない楽しみを秘めている。
今回の調べものは、収集物の「立版古(たてばんこ)」と、F・スタール博士の書簡。立版古は、古書目録などで見ることもあるが、立体絵本の明治版といってもいいだろう。購入者が人気歌舞伎の舞台場面などの絵柄を組み立てて楽しむ玩具である。帰宅後、「立版古」は、俳句では夏の季語であることを知った。夏の夜にロウソクをともして立版古を楽しむ光景が見えるようである。
翌日は、館の稲田さんや青砥さんと島根県に出かけて、祐生ゆかりの方々を訪ねた。翌日は予定を繰り上げて岐路についた。11号台風のせいである。次回の訪問はいつになるだろうか。

8月某日
会員の遠藤康さん(秋田)の『ハッピー遠藤のガリ版通信』が、地元の出版社無明舎出版から出た。県立角館南校(女子校)の社会科教師の遠藤先生の「ガリ版通信」の歴史は30年に及び、この春に6000号を迎えた。実は、遠藤さんの「ガリ版通信」関連本は、今回で3冊目。『ハッピー…』は、1971年創刊号から6100号までの「通信」からよりすぐって、時系列に編まれている。ガリ版通信をそのまま縮小したつくりで、読者は、著者の自分史、心の軌跡を共に歩くということになる。
タイトルになった『ハッピー遠藤の…』とは、現在、発行中の「通信」のタイトル「ハッピー・エンドの物語」と遠藤とかけ合わせた遠藤さん流のことば遊びである。“ハッピー・エンド”は、来春教師生活を終える最後の通信の意味もある。

8月某日
楠本公子さん来宅。事務作業や「ガリ版ネットワーク通信」発行の打ち合わせを行う。次号は寄稿も多く、やっと本来の形に戻れそうである。頒布作業は、山形ではなく川崎市の“志村倉庫”にて行うことにした。
「通信」はガリ版刷りだが、佐藤幸三さんがパソコン制作してくれることになった。作業には5人の参加が決まっている。器材は、わが家の押し入れ、天袋、ベランダの収納庫からもはみ出し、玄関口にも積まれているものの中から頒布する。お正月くらいは、器材の山のない玄関がみられるだろうか。

(2002年2月17日、事務局・志村章子)
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