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ガリ版ネットワーク日誌 [2001年7月] 7月某日 加藤周四郎さんの娘さんの協子さんから電話があり、加周先生が2月3日に亡くなられたことを知る。91歳だった。戦前の秋田県に生まれた北方教育の理論家、実践者である。戦中に疎開した福島県石川町に生涯住んで、戦後はガリ版の夕刊紙を出しつづけた。ずばりとした批評は、ぐさりと胸につきささることもあるが、いつもほんとうのことなのだった。 先生とのおつきあいは晩年の10年ほどだったが、背をのばしてスックと立っておられる印象(精神のことである)は忘れがたい。私は、共に生家のあった場所や、治安維持法違反で2年以上もつながれた秋田刑務所の煉瓦塀の周囲を歩いたり、加藤周四郎学級(はじめての教え子)のクラス会にも呼んでいただいた。19歳だった先生は、そのとき84歳。私は、“75歳の生徒さん”ひとりひとりに「加藤先生ってどんな先生でしたか」と聞いてまわった。 「生徒のすべてを把握してたな」 「なんでも話せる先生だ」 「休んだ人いれば、うちさ迎えにいくもんな」 「親よりありがたい先生だ。先生が向こうから来るとうれしくってよ。走っていったもんだ」 「一番すばらしいのは差別がないこと」 「ありのまま書け、といわれて綴り方好きになってよう」 「働くことはすばらしい、といったな」 「弟、妹、教室に堂々と連れてこいと言ってくれたのは忘れない」 「そのころの教育がおれの人生にずっと生きてきた」(後略)(“生徒さん”のことばの部分。「北方教育を取材して」志村章子『北教』54号) 北方教育のかけがえのない生き証人を、また一人失ってしまった。 7月某日 ことしの夏は早くやってきて、7月はかつてない記録的猛暑に見舞われた。梅雨明けも早く、38℃、39℃を記録した。 「少々使用した謄写版だが買いませんか?」 との電話があった。 「当会は営利団体ではないので…」とお断りをして、街なかの古物店に持ち込んでみたらと、勧めてみた。(明治・大正ころのものなら資料として譲っていただいている。) 最近はテレビ番組の影響や骨董ブームのせいで、製造中止から久しい謄写版も高価に売れると考える向きがあるのかもしれない。先ごろ、某古書目録に「謄写版キング鑢特許39447 大塚工場 5,000円」があって「商品カタログ」または「大塚工場社史」かもしれないと問い合わせてみたところ、中古ヤスリそのものだった。大量生産された戦後のこの時代のヤスリは、まだまだ、あちこちで眠っているにちがいない。 (2002年2月13日、事務局・志村章子)
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