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ガリ版ネットワーク日誌[2000年6-7月]


6月某日
「叔父が町内会の仕事で使っていた謄写版をゆずりたい」と電話があった。再び電話がかかる。「すみませんね。もう捨ててしまったそうです。お騒がせしました」 やれやれ。私も粗大ごみとして出ているのを“救命”したことがあった。

6月某日
謄写印刷資料館の開設準備を進めている岐阜の大東化工まで、展示内容などの打ち合わせに出かける。

7月某日
シャンティ国際ボランティア会(旧名・曹洞宗国際ボランティア会、略称SVA)を通じて、O県T市の貸し倉庫業者が「謄写版をゆずってくれる」とのこと。トラック数台という規模である。収納場所のこと、運送費のこと、ひとのこと。クリヤーしなくてはならないことばかり。
運送費は、ネットワーク会員の鈴木秀雄さんが協力を申し出てくださる。山形謄写印刷資料館の後藤卓也さんにも相談、頭を悩ました末に残念ながら見送ることにした。
〈その理由など〉
・先方との電話連絡だけでは器材の内容が見えなかった。
・遠方(東京から600〜700キロ以上)であるため、経費がかかりすぎる。
・ひとの配置、労力の問題。
・今後も会のサイズにふさわしい活動をするしかない。

7月某日
鳴門市ドイツ館は、第1次大戦のドイツ人捕虜による孔版多色印刷物を当時の技法をもって再現するイベントを計画中とのこと。徳島謄写印刷研究会の坂本秀童さんが多色刷プログラムの一枚を試作。本日、送っていただいた。ベタ部分は切り抜き孔版、インクは謄写インク以外のものを使用しているようだ。

7月某日
ムツゴロウで知られる諫早湾の干潟を守る運動を30年近くもつづけてきた山下弘文さんが急逝した。1970年代、各地の自然保護運動の機関紙もガリ版印刷物が多かった。現在とちがって力も弱く、社会の認知度もずっと低かったころである。「ガリ版の100年」展には、当時のガリ版機関紙を多数届けてくれた。山下流の応援だったのである。「負けてもともと、勝って大ごと」とは山下さんがよく言ったことばである。このことばに励まされた人々がたくさんいる。

(2000.12.8、志村)
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