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板祐生学入門
[5] 素朴なナショナリスト
文/志村章子

明治維新によって、欧米先進国の模倣、欧米文化崇拝(鹿鳴館の舞踏会などは象徴的です)が甚だしくなると、反感を抱く層も出てきます。明治20年代のことで、国粋精神を高揚する方向ですが、藩閥政治から締め出された人々、江戸育ちの趣味人にも、そうした人々がいました。古き良き時代 --- 江戸時代の文化への回帰と言いましょうか。祐生は、明治22年の生まれです。これは帝国議会開会の年にあたり、国の仕組みが出来上がった時代です。彼は、ごく自然に素朴なナショナリストに育ちます。

明治24年(1891)に、日本の郷土玩具を一冊にまとめた「うなゐの友」という画集が出版されます(うない(髫髪)とは、前髪を垂らした子どもの髪型のこと)。著者は“おもちゃ博士”と呼ばれる清水晴風(1851-1913)。江戸時代からの車宿(運輸業)の9代目主人です。そして、晴風を中心に玩具愛玩運動が盛んになります。
それより10年以上前から、晴風は「竹馬会」といって、童心に返って一日を遊ぶ会を催していました。子供時代の扮装でおもちゃを各自が持ちよるというような会です。旧弊の名のもとに姿を消す玩具への哀傷 --- 今でいうレトロ趣味とも思われますが、その根っこには、西欧文明のみを価値観の定規としている明治政府への批判を含んでいます。竹馬会には、西鶴研究者の淡島寒月、児童文学の巌谷小波、人類学者の坪井正五郎、司法官で歴史学者の尾佐竹猛などユニークな人物も参加していました。

晴風の玩具収集のきっかけは、竹馬会に並んだ伝統的な玩具に、「美術とはこういうものではないか」と感銘を受けたことにあります。手遊びの品こそ古雅をそなえ、各地の風土をよくあらわしている、と。忘れ去られて行く民衆の玩具収集は、一部上流階級による金にあかせての美術品収集への批判にもなっているわけです。いい大人である晴風のおもちゃへのまなざしは、民衆の伝統玩具の美しさに向けられていたというわけです。
さらに素朴な日本の玩具に美を見いだしたのは、外からの目でした。例えば明治維新後に来日した大森貝塚の発見者モース、小説家のラフカディオ・ハーンなどです。
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