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盛況だった「板祐生」展 コレクションと作品群に感動と驚きの声 文/志村章子 東京での初の祐生展について、私的な感想を、提案もふくめて簡単にまとめておきたい、と思う。 「孔版画に生きた板祐生の世界」展(2000年2月16日〜27日、銀座・伊東屋ギャラリー)は、会期中の来場者が2,700人(受付で男女別にしっかり記録)にのぼった。東京、首都圏、その他遠方からも来場している。ほとんどが、板祐生という孔版画家にして収集家の仕事とのはじめての出会いであろう。 (1)来場者は、祐生の多彩な仕事をうつすかのように豊かであった。孔版画家、孔版画グループの人、版画その他の美術愛好者、版画・こけし・乗物の切符・伝統玩具収集家。かつての謄写器材、印刷関連業者、謄写印刷愛好者など。ガリ版ネットワーク会員で確認できたのは40数名。もちろん鳥取県関係者の来場も。会場はこれらの人々が旧交をあたためたり、新しい出会いの生まれる場になった。 (2)2度、3度と足を運んだ人も少なくなかった。熱心に、ていねいに展示を見る人が目立った。2回開催(2月19日青砥徳直氏、2月26日志村)のギャラリートークも盛況だった。 (3)また、伊東屋入口、売り場の案内板、店内アナウンス等による来場者が多かったことはもちろんである。祐生コレクションと作品群に驚きと感動をもらした人が目立った。「立ち去りがたい」「いいものを見せてもらった」など。 (4)「板祐生の世界」のタイトルどおりに、祐生使用の文房具、謄写器材、製版ずみの原紙など複数展示したことは、“祐生という人と仕事”の距離をちぢめる上で成果があったと思われる。 (5)「祐生出会いの館」は会館5年目という若い小規模博物館で、「4万点を超える資料は第1次整理が終了しただけという段階」と聞くが、今後、収集品の価値が高まることは必至である。博物館の「図録」作成も視野に入れていいのではないか。会期中、「図録はないのですか」と何人もの来場者から声をかけられてもいる。 並び立つ「古さ」と「新鮮さ」 東京における「祐生展」の最大の成果は、山村の地で生涯をかけて制作された作品、収集した素朴な伝統玩具や生活文化(あまりにも普通の品々なので捨てられてしまう運命にある)コレクションが、都会に生きる人々の心を打ち、受け入れられたらしいことである。なぜ? この答えには、もう少し時間がほしいが、「古さ」と「新鮮さ」が並び立っている魅力、と私自身、首をかしげながら表現してみる。 「祐生の世界」(作品も収集品も…)は、近世以来の日本人の根にふれるものがありそうだ。祐生が晩年に到達した技法も、デザインも、その色彩も、和紙という素材も、山陰の空気や土のなかで生まれ育まれたものであり、しかも祐生だけのものである。 祐生は、生涯を通じて特定の師を持たなかった。モダン美術の香りを届けてくれるのは百貨店や船会社の全判ポスターであり、趣味仲間との情報交換、それらネットワークにより交換・寄贈される伝統玩具(江戸期のものもある)に代表される収集物を通して彼は美意識を育てたといえるかもしれない。 次はぜひ「若山八十氏」展を 「祐生展」をみながら、「東の若山八十氏、西の板祐生」といった人のことをふと思い出した。むろん孔版画の巨匠若山八十氏(1903〜1983)のことである。祐生とは作風も技法も大きく異なる若山だが、類似するのは、戦中から晩年まで膨大な謄写印刷の歴史資料(「若山コレクション」として日本グラフィックサービス工業会に保管)を収集しつづけたことである。 1986年に「若山八十氏遺作展」(銀座・文芸春秋画廊)で代表作が展示されたが、「若山コレクション」の全容が公にされたことはない。作品のほとんどは、遺族によって町田市立国際版画美術館に寄贈されている。 生涯、生命力あふれる作品を制作し、謄写印刷関連史料をコツコツと集め、遺してくれた若山八十氏。作品と史料で若山八十氏の展示会を是非みてみたい。 (2000.3.9)
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