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ガリ版ネットワーク日誌[2000年5月(2)]


某月某日
Mさん夫妻のガリ版通信「スモッグの中から」(518号)が届いた。判型はB6判。日常を散文、詩、俳句などにして友人、知人にとどける。コンサートや芝居の感想、国内・海外旅行のレポートでは経費も報告する。用紙は再生紙でなく「リユース」(反故紙の再利用)である。読者のお便りも掲載(私のもある)され、友人、知人たちとのコミュニケーション紙になっている。
夫はすでに定年退職して、妻も1年足らずで定年らしい。夫は5時前に起きて朝食を準備して、風呂をたて妻を起こす。朝食メニューも掲載されている。手軽で気どらぬ通信は発行人の日記でもある。ガリ版がよく似合う。
ついでに長命のガリ版通信にふれておく。沖縄県西表島の那根武(なね・たかし)さん(92歳)の家族新聞「いやり新聞」(B4判)は1160号(2000年新年号)を越えた。家族が他島に引っ越すなどをきっかけに、一族とのコミュニケーション手段として発行された。昨年12月、NHKテレビ(「新日本探訪」)で紹介され、お孫さんが印刷を手伝っているシーンがあった。昭和42年(1967)1月創刊以来だから34年になる。
残念ながらインクが入手できないと最近、手がきコピーになったらしい。「いやり」とは、西表のことばで伝えるの意。
まだまだ、知らないところでガリ版通信が発行されているにちがいない。

某月某日
昨年8月末、「敗戦直後のシンガポール・ジュロン抑留所の日本人によるガリ版日刊新聞、文芸誌など保管していた人」の報道(共同通信配信による)があり、話題になった。元日本映画社勤務の関正さんがその人だが、映画監督小津安二郎も編集同人だったことも話題になった。
その後、ショーワ(元・昭和謄写堂)専務取締役の辻善司さんと関さんが親しかったことから辻さんが資料を復刻、内容を読むことができるようになった。資料は、日刊新聞「自由通信」、週刊文化雑誌「文化週報」、引揚船内で発行の日刊紙「朝嵐通信」で、すべてワラ半紙に謄写刷り。
記事内容もきわめて多彩で、たとえば日刊紙には、「農地制度改革」「東京裁判」「大相撲の主な勝敗」「言論の自由について」「財閥解体」等々、NHKラジオ受信によるニュースが取り上げられている。文化雑誌にはモーパッサン短篇小説、論文「現代日本の封建性」「ジュロンの植物」、小津の「今後の日本映画」もその一例だが、抑留所らしい一篇は「考現学睡眠中の音声」である。ねごと、いびき、おならなど抑留所内の夜間の物音についてレポートしたものである。
ジュロン抑留所は、引き揚げまでの間の民間人を抑留したが、いくつかの論文タイトルにふれるだけで多彩な抑留者たちの素顔を彷彿させる。
これらの資料は、今後ますます貴重さを増すことになろう。

某月某日
ネットワーク事務局には、一日一件、多いと数件の連絡が入ってくる。一番多いのは、眠っている器材譲渡の件。最近増えたのが、「インターネットで知った」という人たちからの連絡。きょうも一件。「HPみました。原紙ありましたら、1枚ほしい」との電話。篆刻を趣味とする人からで、文字デザインをガリ版で刷ってみたい、のだそうだ。ラオスでの刺しゅうの図案作成、帽子・背広のネームづくりにも謄写印刷は活躍したから、篆刻にも応用できると思う。インターネットの普及は、新規の層の人々とガリ版をつなぐことになりそうだ。

(2000.6.26、志村)

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